上下町で100年を刻む石灰業
石のように手堅く、ニッチな未来へ
まぶしい太陽の下、学校のグラウンドにくっきりと引かれた石灰の白いライン。汗と土の匂いとともに、全力で走っていたあの頃の記憶が鮮やかによみがえる人も多いのではないでしょうか。あの石灰は、上下町河井地区で作られたものかも。この地で創業100年を超える渡辺石灰株式会社を訪ねました。

見えないところで暮らしを支える「石灰」
石灰の原料である石灰石は、国内自給が可能な数少ない貴重な鉱物。山口、高知、そして上下町のある中国山地のカルスト台地などに事実上無尽蔵な量が豊かに蓄えられている。渡辺石灰株式会社の3代目社長の渡邊裕介さんは「最近も隣地の山の木を切り倒すと石灰が出てきました。この辺りはどこを掘っても石灰岩が出ます」と話す。幼いころ、地下水を沸かすと白い石灰が沈殿していたそうだ。

渡辺石灰株式会社の歴史は、この豊かな資源に恵まれた上下町河井地区の人々の営みから始まった。各家庭で石灰製造が行われる小さな地場産業が根付いていた。その力を集結させ、近代的な事業へと昇華させたのが、1919年(大正8年)の創業。河井石灰製造所として地域の人々と共に事業をおこし、現在に至るまで100年を超える歴史をこの地に刻み続けている。かつてはこの地で石灰岩を掘り、高温で焼いて生石灰をつくり、水をかけて消石灰をつくっていた。オイルショックで燃料が高騰化し、焼成工程は外部に任せて、消石灰の製造をしている。

石灰で最も需要が多いのは、鉄鋼の主原料。日本の経済発展と共に石灰業も栄えてきた。近代ではセメントの主原料としても使われるようになり、産業の発展をになってきた。最近では、プラスチック原料の一部に石灰を使うことで、脱プラスチックや環境負荷の低減につながる研究、実用化も進んでいる。「ありとあらゆるものに、石灰は使われていないものはないくらいです」と渡辺さん。部屋を見渡したとき、目に映るもののほとんどに石灰が使われている。鉄はもちろん、ガラス、塗料、紙、プラスチック、ゴム、ビニールなどにも石灰が使われている。食品分野ではこんにゃく作りに使われており、現在では砂糖の精製や歯磨き粉、化粧品などにも使用される。また、畑にまけばカルシウム資材として役立つなど、私たちの生活の隅々で活躍していることがわかる。石灰は私たちの暮らしを見えないところで力強く支える、まさに基幹材料だ。人が生活する限り需要がある業界だ。


人が生活する限り需要がある、必要とされる喜びがある

2003年、京都でサラリーマンをしていた渡辺さんは、家業を継ぐために帰郷した。石灰業界は、高度経済成長期を経て、巨大企業による大規模化と再編の波にさらされていた。当時社長をしていた母から「正解かどうかわからんけど」という言葉と共にバトンを受け取った。「確かに当時働いていた会社の規模と比べると小さい。でも、地域に根差していて、歴史も長くお客様との絆が深い。必要とされているところに届けて喜ばれる仕事だと感じました」と話す。
帰郷した渡辺さんが新たにはじめたのは、小袋へのパッキングだ。「石灰業界は大型化したがゆえに、小さいものが作れなくなっていたんです」。タンクローリーや1トン袋が主流だった時代、20キロ袋すら「小袋」と呼ばれていた。渡辺さんは家庭菜園や個人消費向けの10キロ、5キロ、1キロといった超小袋に詰めることを始めた。
しかし、これが簡単ではなかった。目が細かい石灰をビニール袋に詰めて封をするシール作業に苦戦した。袋の開口部やシール部分に石灰が付着していると、すぐに袋が開いてしまうためだ。石灰の小袋詰めは不可能、あるいは採算が合わないと敬遠されてきた。それを、手作業と自作の機械を組み合わせた熟練の職人技でこの課題をクリアした。「いろいろなクレームを受けながら、やりながら速さ、ベストなところを見つけました。今では袋が開くことはめったにありません」。

腕を失った経験も自分の資源に
上下町に帰ってきて1年目、仕事中の事故で右腕を失った。その経験を、落ち込むのではなく「誰もが経験できない、一つの資源」と捉え直した渡辺さんは、パラスポーツの射撃に挑戦した。「障害者になったからこそ、障害者にしかできないことをしよう」。学生のころにアーチェリーをしていたことも、射撃への挑戦を後押しした。義手を使って競技に挑んだ。やってみるととんとん拍子にことが進み、東京2020パラリンピックに出場。パリ2024パラリンピックも補欠登録になった。この記録を「やってみるとやめられなくなって、必然的に続けています」と笑う。

パラリンピック選手となってからは、練習で東京に呼び出されることも増え、海外への遠征もある。射撃に専念できるプロ選手と違って、渡辺さんには仕事もある。しかしパラリンピック選手は国家事業のようなもので、仕事が理由で練習は休めない。会社責任者とアスリートを両立する多忙な日々をどう過ごすかが課題になった。「うまいことかわしながら、どちらも小さく挑戦して細く長く、バランスをとりながら続けています。大きく挑戦すれば、大きく成長するか、大きく沈むかのどちらか。 小さく、細く、石のように手堅く長~く続けたい」と力みのない穏やかな語り口が続く。その中に「でも射撃の選手として目標は、高いレベルで続けたい。プロには負けたくない」と静かな闘志を見せる。
上と下があるこの町で真ん中を目指したい
今は上下で石灰はとっていない。産地ではない場所でなぜ事業を続けているのだろうか。「お客様は沿岸部に集中しているため、会社は沿岸にあった方が流通面でのメリットがあります。でも、中国道、山陽道、お客様の都市も不思議とどこにいくにも1時間で行けます。この場所がちょうどいいんです」とこの場所のニーズを見つけ出す。そして「あえてここにいることがさらにニッチを呼ぶのではないかとも思っています。これからどんな面白いニッチが見つかるか楽しみです」と柔軟な発想で事業の可能性を広げる。

上下町で生まれ、この地の事業を引き継いだ渡辺さんに、上下の好きなところを聞いた。「うちの会社も100年、上下町も歴史がある。翁山から町を見下ろして俯瞰すると、長い歴史の中にともにあることがわかります。あと町の名前もいいですよね。上と下、両方あるなんて珍しい。上と下があるこの町で真ん中を目指します。うまいこと言えた」と場を明るくする。
「20年、30年後見据えてやるというよりは、5年先を見据えて今を継続していく、今を精いっぱいやっていく、その継続がいい形になるんじゃないかなと思っています。仕事も射撃も続けられるだけ続けたいです」と渡辺さん。歴史ある上下町で、これからも石のように手堅く挑戦を続けていく。


