懐かしい自然がある。会いたい人がいる。だから、この森に帰ってきたくなる。
ベッドに寝転がる。目を閉じると鳥の鳴き声が聞こえ、前髪が風にそよぐ。話し声がだんだんと遠のいてきたころ「おかえりなさい」という明るい声が響き、目が覚める。いつもどこかにある人の気配が心地いい。旅の途中、上下町の森の中にあるMGユースホステルに、あなたも“帰って”きてみませんか。
まるで実家に帰ってきたかのような温かさ
JR福塩線の備後矢野駅から歩いて約30分、看板を頼りに急な坂道を上る。道が細くなり不安になっても前進あるのみ。森の中に突然、三角屋根が現れる。名前の通り、自然の森にあるMGユースホステル(以下、MGユース)だ。
ユースホステルは100年以上の歴史を持つ宿泊施設で、世界に点在している。管理人をペアレントと呼び、宿泊客を「おかえりなさい」と子供が実家に帰ってきたように温かく迎え入れる。ただ宿泊するだけでなく、訪れた人同士のつながりを大切にする。相部屋になることが多く、宿泊客が集まる談話室が設けられているのが特徴だ。料金が比較的安く、旅好きに愛されている。
MGユースは昭和34(1959)年に森岡まさ子さんが開設した、広島県初の民営ユース。原爆症で苦しむ夫・敏之さんの「平和の大切さを若者に伝えたい」という思いから生まれた。日本ではまだユースホステルが何か知られていない時代、しかも上下町の山の中。そんな環境の中でも森岡夫妻の熱意は感動を呼び、全国から若者がやってきた。一夜に100人もの人が集まっていたそうだ。
森岡さんのあとを家族が引き継ぎ、民間企業による経営を経て、現在は上下町で生まれ育った和知啓子さんがペアレントを務めている。金~日曜日の週末に営業している。
「大切な場所を残したい」という一心で引き継ぐことに
和知さんは高校生のころから、MGユースに遊びに来ていた。全国あちこちからやってくる宿泊客の旅の話を聞き、誰かが弾くギターの音色に耳を傾けるのが楽しかった。和知さんにとってここはとても大切な場所で、決してなくなってほしくない場所だった。MGユースの管理者が民間企業になると空気が変わり、常連メンバーが離れていった。「いつか私がMGユースを引き継ぎたい!」と森岡ママに叫んだ8年後、それが現実となった。
森岡ママから言われたのは、「私のためならやらなくてもいい。やりたいと思うならやって」。和知さんは当時勤めていた病院を辞め、料理を担当してくれる仲間を見つけてMGユースを引き継いだ。森岡ママが協力を呼び掛けてくれていた地域の人が助けてくれ、宿泊客が戻ってきた。「私が引き継いで15年になります。森岡ママ時代のオールドメンバーも戻って来てくれました」と笑顔を浮かべる。
部屋に宿泊客が自由に書き留めた「想い出ノート」がある。「この部屋は4度目です」など同じ部屋に泊まったという書き込みが多いのは、MGユースに帰ってきているからなのかもしれない。
何気ないやり取りに癒され、優しくなれる場所
ユースホステルは2段ベッドや3段ベッドが一般的な中で、MGユースは1段ベッドをゆったりと配置してある。洋室はパステルカラーの壁に高い天井、まるで赤毛のアンの世界だ。布団を敷く和室もあり、1部屋の貸し切りも可能。トイレを備えたゲストルームもある。
夜と朝は食事を提供。ごはんを土鍋で炊き、おかずは魚料理が主流。夏には外でバーベキュー、新たにピザ窯も設置した。地元の矢野温泉の湯を引くお風呂も自慢だ。
ここでは一人で何もせず過ごしてもいいし、談話室に行けば誰かがいる。冬になるとこたつを出す。話をしたり、読書をしたり、夜になると誰かの旅の土産のワインを開けて盛り上がったり。仕事をしている和知さんも「ここに来て話を聞いて」と談話室に呼び込まれ、夜を徹して話し込むことも多いそうだ。「皆さんとの何気ないやりとりが今に助かっていることもたくさんあります。お客様だって何か悩みを持っていて、赤の他人だから話せることもあります。困った人がいたら話を聞いてあげる、手を貸してあげる。MGユースはみんなが優しくなれる場所なんです。大事に残していきたい」と和知さんは話す。
上下の町の応援団に
2018年12月に、持続化補助金を使って常設の木造テントを設営した。このテントは、熊本の豪雨災害での仮設テントをベースにしたもので、風にも雪にも強い。小屋ごとクレーンで吊って移動させることもでき、有事の避難場所にもなる。設営にあたっては、構造に関わること以外は中学生にキャリア教育の一環で参加してもらったり、ユースの応援団に手伝ってもらった。電気のない場所で過ごしたり、少ない水で食事をつくるといった体験ブースとして活用している。「子どもたちに生き抜く力を持ってほしい」と願う。
MGユースの利用は地域の人にも広がっている。介護のために一時的に戻ってきた家族や法事での親戚の宿泊先に、泊りがけの同窓会など。昼間は地元の女性グループ「ブルーシェル」が完全予約制でランチを提供している。
MGユースを通して地域の交流を生み出す和知さんの試みは、上下町全体へと及ぶ。知人が「駅前で猫一匹みない日があるのよ」とさみしがるのを聞き、和知さんは上下駅の駅舎の一部を借りてイベントスペース「まんまる屋」をつくった。「この場所で若い人にチャレンジをしてほしいんです。場所は用意してあるので、一人でできないなら仲間を紹介してあげるし、協力してくれる人を教えてあげられます。上下駅を人が集まる場所にしたい。MGユースを残していくためにも、上下の町自体が元気になってもらわないと困るんです」と上下の町を応援する。
心を休めたいとき、何かを始めたいとき、上下町にいるペアレントの和知さんが「いってらっしゃい!」と背中を押してくれる。