旧商家で “農ある暮らし”を体感
土を耕し、ものをつくる夫婦が営む喫茶室

三艸(みくさ)

薪がはぜる音、立ち上るコーヒーの香り、お盆にカトラリーが準備された気配、料理がまもなく自分のもとに到着する予感…。まるで自分の呼吸も聞こえてきそうな静かな喫茶室兼ギャラリー「三艸(みくさ)」は、たくさんの些細な変化に幸せを感じさせてくれます。ここを営むのは、土を耕しものをつくるご夫婦、岡田尚三さんと若草子さん。長い歴史が凝縮された空間に身を置いて、お二人の作品、しつらえ、料理をじっくりと楽しめます。


里山の温もりを味わう喫茶室

格子戸に揺れる真っ白な暖簾をくぐると、土間のある薄暗い大空間が広がる。その先の明るいところが喫茶室。建物の奥にあるのに明るいのは、建物の中央にある坪庭が明り取りになっているためだ。
喫茶室に入り、坪庭が正面に見える場所に座る。予約しておいたランチプレートは月替わりのカレープレート。東京のインド料理学院でアシスタントをしていたという若草子さんによる、本格的なスパイス料理だ。食べ進めるうちに、体がじんわりと温かくなってくる。 
食後は、本日のケーキを。この日はクリーム状にしたカシューナッツやドライフルーツなどを冷やして固めた焼かないケーキ。アイスも自家製で、豆乳と米粉ベースで植物性のホイップクリームが添えられている。
喫茶室で味わえるのは、植物性の素材を使い、お肉や乳製品を使っていない料理やスイーツ。お二人が自給したものや、里山で収穫された旬の果物などを使う。どれも体のことを気にかけた優しい料理。調理を担当する若草子さんは「アレルギーや宗教など隔たり無く、どんな人にも愉しんでほしいから」と話す。
料理やスイーツが添えられているお皿、真鍮のカトラリーは尚三さんの作品。大きなテーブルやイスは、町内の立派なケヤキをやむなく切ることになったときに尚三さんのお父さんが引き取って何十年も保管し、尚三さんが製材して作り上げた。店内のカーテンや暖簾などの布物は若草子さんが染め縫製したもの。あるものをいかす、ないものは自分たちでつくる。材料は周囲の里山から調達する。「里山の温もりが感じられる時間をすごしてほしい」というお二人の願いが込められた空間だ。

体に染み込む若草子さんのカレープレート

植物性の素材を使ったからだに優しいスイーツ

玄関を入ってすぐの土間のある大空間。床にはトロッコレールの跡

三艸は土を耕すことから始まった

尚三さんは上下町出身で、祖父の代から続く木芸工房の3代目。京都で伝統工芸を学び、イタリアでソファづくりなど異なるものづくりの現場経験を経て、暮らしに必要なもの、表現したいものを素材や技術を超えた創作に取り組んでいる。
若草子さんは東京で舞台衣装のデザイン制作の第一線で活躍。震災を経験したことで、暮らしや食への考え方が一変した。農的な暮らしに価値を見出し、島根県に移住。尚三さんと出会い、結婚を機に上下町に移り住んだ。里山で自ら採取した素材で、装身具などの制作をしている。
展示されている若草子さんの作品や尚三さんの作品を購入できるが、ひとつひとつ手作りの為、主に店舗のみや受注販売となっている。喫茶室で実際に使ってみて肌触りや温もり、重さを感じると、ますます連れて帰りたくなる。

米蔵を尚三さんの工房として活用する

自伐した木などで作った尚三さんの作品

里山で採取した材料で作った若草子さんの作品

生み出す暮らしと商い

そんなお二人が「三艸」のオープンにあたってまず始めたのは、土を耕すことだった。創作には暮らしが反映される。本質的なもの、美しいものを創作する上で、足元をしっかりさせることが大事になる。足元を支える“食べること”を、自分たちで作り出せていないことに危機感を覚えたと言う。「かつての上下が里山で生みだしたものでも商いをしていたように、里山にあるものを、この場所で形を変えて紹介しようと考えました」と話す。
見つけたのは、獣の住処と化していた耕作放棄地。分水嶺の当地で、山水の一番水を使える。その恵みを取り入れ里山の水を汚さないように、農薬、肥料、除草剤を使わないことを決めた。「次の世代へより良い環境を手渡したい」と話すお二人。だからこそ、“ごまかしのない”農ある暮らしに子供と一緒に取り組んでいる。
今育てているのは、うるち米、古代米である赤米と、緑米の3種類の米をはじめ、ハーブ類やキュウリやカボチャ、サツマイモ、オクラなど。現時点ではおもには家庭用だが、喫茶室の食料自給率も上げていきたいそうだ。

刈り取った稲を逆さにして天日で乾燥させる「はざかけ」。上下町で見かけることは珍しい

収穫した緑米

里山の価値を表現し更新していく

二代にわたって修繕を重ねてきたこの建物をどういかすかも、お二人にとって大切な問いだった。「古いものの中に新しい暮らしがある」ということをイタリアでの修業で実感した尚三さんは、「古い建物は何百年という歴史をさかのぼることができる。それはこの先の未来も見通せる可能性を持っているということ。このたたずまいが人を呼ぶのではないかと考えました」と話す。
江戸時代のたたずまいを残す「三艸」は、上下の暮らしや歴史、上下がどんな町だったのかを教えてくれる。坪庭が光を集め、大きな窓から光が差し込む。凹凸のある壁や床に、柔らかな影を落とす。ささいな変化を敏感に感じさせてくれる空間は、気づくことや感動を増やしてくれる。季節によって影の濃さや長さも違うんだろうなぁと想像して、またここに来ようと思う。

尚三さんと若草子さん。坪庭を臨む明り取りの窓の前で

オープンして3年目、思い描いていた形に近づいてきたそうだ。これから取り組みたいのは、「里山の資源を更に活用し、価値を残していくこと」。喫茶室のケヤキのテーブルが二代にわたって完成したように、今の里山の木を製材して板にして乾燥させておけば次世代が使うことができる。そんなお話を聞いていると、「やりたいこと」と「やらなければならない」と感じていることが一致していてとても気持ちがいい。そして何より楽しそうだ。
「里山の価値を表現し、深めながら更新していきたい」というお二人の言葉が、三艸の静かな空間にも心にも響く。私は何か更新できているだろうかと、坪庭を眺めながら考えてみる。でも、目の前の美しいスイーツから目が離せないし、早く食べたい。そんな葛藤も楽しい。三艸は、自分の心に向き合う時間をくれる。