「信じてくれるのがありがたい」
親子で仕上げる鈑金塗装

上下鈑金塗装工業所

「楽な仕事じゃないけん、好きな仕事をせぇ言うたのに」という創業者のお父さんの背中を追いかけて、「今の親父と同じ年くらいまでは頑張りたい」と事業を継ぐことにした息子さん。そして「お父さんの仕事を継いでくれてうれしい」というお母さん。永井さんご家族が営む「上下鈑金塗装工業所」は、自動車の鈑金塗装を中心に、認証工場として自動車の整備や点検修理、新車や中古車販売も行っています。


必要な仕事を思い切りするために

上下鈑金塗装工業所は昭和40年11月、永井享さんが創業した。技術をみにつけようと大阪へいったものの体調を崩してしまい、広島に戻ってきて上下小学校前で鈑金塗装業を始めた。民家が近くにあり「大きな音がするので申し訳ない」と今の地に移転し事業を続けてきた。
「よう続いたもんよ」と享さん。事業を始めた昭和時代は、ハンマーで鉄をたたいて部品をつくり、それを切ってつないで仕上げていた。ほとんどの鈑金業者で、お客様からの信頼のもとで車の足回りやエンジンの分解や整備も行っていた。昼は鈑金、夜は塗装。小さな町では、専業では仕事が限られるため両方していたとのこと。「田舎なのでなんでもする」と農機具の修理もしていた。それは今も同じだ。

自動車の開発が進み、車には新しい機能がどんどん搭載された。満足のいく仕事をするためには、自動車整備士の資格と運輸局の整備認証を得ることが必要だと感じた享さん。仕事を終えてから、ときには徹夜もしながら資格取得の勉強をして、40歳で2級を取得。「2級は3回目で取得できたんよ。3回目のときは手ごたえを感じたね」と笑顔で振り返る。

亨さんが徹夜で勉強しながら取得した自動車整備士の合格詔書

最近の車を鈑金塗装するには、認証工場でなければならなくなった。標準搭載されているブレーキやカメラなどの安全装置が正しく動くかどうかを校正・調整するためのエーミング作業もある。工場にごみやほこりを遮断する塗装ブース、車の骨格部分の修復を行うフレーム修正機を入れた。認証工場になるには、地元業者のすすめも必要だった。そこはすんなり協力が得られ、平成17年に認証を受けた。「必要な修理を思い切りできるようになりました」と享さんはほっとした様子だ。

お客さんの想像を超える仕上がりを目指して

息子の悟さんが稼業を継ごうと思ったのは高校生のとき。やりたいことは特になく、「父親がしている仕事があるなら継ごう」と岡山県の自動車整備の専門学校に進んだ。自動車整備士の資格を取得し、福山の自動車ディーラーで整備を経験。その後は九州で塗装を2年間学んだ。悟さんが上下に戻ってきててからは、父の享さんが鈑金、悟さんが主に塗装、帳簿つけ、車検を担当。お母さんの照美さんも塗装を手伝う。照美さんも自動車整備士の資格を持っている。

自動車整備士の資格を持つお母さんの照美さんも塗装を手伝う

事故で傷がついた車が工場に持ち込まれる。見積もりをする。部品を外して、修理できそうなものは修理して、修理できないものは交換する。新品部品は塗装されていないものがあるので、車のボディーの色に合わせて塗装し、組付けたら完成。完成といっても、仕事に終わりはない。「職人というのはなかなか思うようにいかん。自分が満足できんのよ。これなら許してもらえるかなというとろこまでやるだけ。自分にとっては妥協。それでも、お客さんがきれいになったと言ってくれるのが、本当にありがたい」と享さん。
悟さんも、「一度事故した車は元にはもどらない。元に近い形にするのが僕らの仕事。お客様が想像を超える仕上がりだと喜んでくれたらうれしい。それがやりがいですね」と話す。

「ここならなんとか直してくれるって、お客さんがうちを信じて持ってきてくれる。本当にありがたいです。お客さんが満足してくれるようにきれいな仕事をせんといけんって思っています」と頭を下げる享さん。
「営業活動はしていないんです。おやじの代から頑張ってきたことが口コミでつながってます。開業当時からの50、60年の付き合いも多いです。ほとんどが地元のお客様です。期待に応えたいです」と悟さん。誠実さが代々受け継がれているんだと感じた。

損傷した部分に鉄板を溶接し、違和感がなくなるまで表面を処理する

最大限の努力と技術で、納得してもらえる色に

車の修理は、損傷部分を修復したあと、塗料で仕上げる。ボディーの状態に合わせて塗料の色を調合していく。例えば「黒」と一言でいっても、色の深さが違ったりメタリックだったり、何年乗っているかでも色は違ってくる。1台1台で色を作っていく必要がある。これが難しい。

昔は人の目で車のボディーの色を見て、塗料を組み合わせて色を近づけていた。再入庫の車で塗料の割合の記録があっても、色合わせに半日ほどかかったそうだ。享さんによると、色を合わせた塗料に車の持ち主の名前を書いて、工場にたくさん保存しておいたとのこと。

九州で塗装を学んだ悟さんは、「色合わせは途方もない作業でした。自分が納得いくようになるまで場数を踏むしかなかった。それが今は専用のカメラで撮影するとパソコンが色を数値化し、塗料の割合を出し、それを混ぜれば元の色にかなり近い色ができる。10分、20分で色が合う。かかる時間がかなり短縮されました」と話す。ただ、「塗装で100%色を合わせることはできないんです。最大限の努力と技術を使って、お客様に納得していただける色を目指すしかないんです」と話す。

コンピューターが計算した色の分量を混ぜあわせ、ボディーの色に近づけていく

塗装ブース。ほこりやごみを除去し、塗装ミストも回収するので環境にやさしい

おやじよりも細かい目で仕事に取り組みたい

認証工場として、鈑金から分解、修理、塗装まで扱う

悟さんが稼業を継ぐと享さんに伝えたとき、享さんは反対した。「鈑金塗装は楽な仕事じゃない。悟には好きなことをせえと言っていたんです。継ぐと言ってくれて、それなら資格をとれと学校に行かせました。悟は塗装が上手なんですよ」と享さん。「お父さんは元気で働いて続けてくれた。息子が継いでくれると聞いてうれしかった」と照美さん。

悟さんに会社のこれからのことを聞くと「一人でするのか誰かとするのか、これからどうなるのかは正直分からない。ただ、おやじが83歳、私もその年までは仕事がしたいですね。おやじのお客さんを引き継いで、おやじよりも細かい目で完成させることを心掛けていきたい」とのこと。照れた悟さんから、お二人にも笑顔が広がった。

悟さんの趣味は?と聞くと、「仕事ですね」と即答。「休めといっても日曜でも仕事しとるよ」と享さん。帳面を付け始めると数字で仕事の成果が分かり、頑張れば数字が伸びるのが面白いそうだ。事務所のパソコン周りを見ると、悟さんの几帳面さがよく分かる。

「子どもも少しずつ手が離れて、趣味でゴルフをしたけどろくなことにならなかった(笑)。今、仕事が一番面白いんですよ」。そんな悟さんがいる上下鈑金塗装工業所なら、どんな仕事もあきらめることなく追求してくれるはず。
小さなキズからフレームがゆがむような大きな損傷も、何でも安心してお任せを。

親から子へと事業を引き継ぐ永井さん一家。左から父・享さん、息子・悟さん、母・照美さん